味見とレビュー

 今日の朝食はタラコスパゲティだったのですが、ひさしぶりにカミさんが失敗しました。タラコと和える前に、麺のゆで加減を確認していませんでした。和えてしまってからでは、もう一度ゆで直す訳にもいきません。アルデンテと呼ぶにはちょっと厳しい、芯の残った硬いスパゲティをいただくことになりました。



 味見をしなくても料理はできます。最初から最後まで一切味見をしないで料理を出すお店もあります。でも、味見をしないとトンでもなくマズい料理が出来上がることがあります。味見をしておけば、ほとんどの場合、そういった失敗は避けることができます。テレビで見かける一流の(らしい)料理人も、味見をしてから盛付けに掛ります。


 味見の仕方と料理をする人のレベルにはどんな関係があるのでしょう。ちょっと考えてみました。

  • とっても下手な人
    • 味見をしている余裕がありません。どんな味になるかはその時まかせです。
  • ふつうに下手な人
    • 一応食べられるものができます。味見もします。というより、心配なのでやたらと何度も味見を繰り返します。コツが分かっていないので時間が掛かります。
  • 上手な人
    • 味見をするポイントや調整の仕方がわかっています。むやみに何度も味見を繰返したりはせず、手早く料理を作ることができます。

 システム開発に置換えてみると、味見はレビューや試験に相当します。たいがいの組織は、どんな風に「味見」をしているのでしょうか?ISO9001やCMMがこれだけ普及しているご時世では、「とっても下手な人」はそうそういないと思います。しかし、レビューや試験に工数を掛けさえすればよい、と思っている「ふつうに下手な人」は案外に多いのではないでしょうか?というより、その考えは開発現場で試験を担当する人々の間では常識に近いくらいに根強いのではないかと思います。その結果として危ないプロジェクトほど試験期間が長くとられ、ただでさえ少ない製造工程の期間を圧迫し、かえって品質を落とすこともあります。



 レビューや試験を一切しないというのは論外ですが、それに掛ける時間は少ない方がよいし、理想的にはゼロです。試験に時間を掛けさえすれば品質が上がると考えている人は、試験とその結果摘出された不具合の修正とを混同しています。味見をして塩を足す必要がなければそれが最善ですし、あるいは塩を振ってもう一度味見しなおせばおしまい、というのが次善ということになるでしょう。


 本当に「上手な人」とはどのようなものか、システム開発における常識が変わってほしい、と切に願うところです。