"「要求」と「システム」のしなやかな平衡"について

 メタボリックスの山田正樹さんがお書きになった、"「要求」と「システム」のしなやかな平衡"という記事が@ITに掲載されています。なかなか興味深い記事であり、要求とシステムとの動的な関係性を説くあたりは、全面的に賛同するところです。
 ただし、どうやって(あるいは誰が)「平衡」を確認するのか、という問題が実務的にはあります。顧客としては「使ってみて問題なさそうだから、これでOKです。」という訳には行かないでしょう。そのために、顧客、開発側双方が納得できるように客観性のある(と見なされる)手段によって確認をとる必要がある訳で、そこに文書化された要求仕様が必要になってきます。また、顧客と決して顔を合せる機会のないメンバがいるような、ある程度の規模の開発チームでは、やはり文書化された要求仕様がコミュニケーションの手段として必要とされます。
 では、要求仕様をどう書いたらよいか、という問題が相変わらず残りますが、ここに目新しい解はなく、構造化された自然言語という伝統的な手法に戻らざるを得ないのが現実でしょう。けれど、必ずしもそれはうまくいっていません。
 要求仕様至上主義には、「分析マヒ」のアンチ・パターンに陥る恐れがつきまといます。しかし、現実には要求を引出し切れない、分析できない、といったことの方が多いのではないでしょうか。アジャイルが喧伝される中にあって、要求仕様の不完全性が、要求仕様書の不要性に直結していく危惧を抱きます。要求仕様の不完全性という現実を踏まえつつも「要求仕様至上主義」を標榜する、ということも、ずい分と妥当なことのように思います。